新型コロナウイルスの感染制御

新型コロナウイルスの問題については、本業の期末集中が終わってから書こうと思っていましたが、近日の欧州や米国における動向などを考えると早く書いた方がよいと思いました。少し雑な部分もできてしまうかもしれませんが、新型コロナウイルスの感染制御について、理解していることをまとめてみます。

封じ込め(containment) vs. 緩和(mitigation)

感染制御には『封じ込め(containment)』と『緩和(mitigation)』という2つの基本的対策があります。このことが広く一般に知られるようになったのは、3月12日のジョンソン英国首相の声明がきっかけであったといえるかもしれません。簡単に言うと、ジョンソン首相の声明は『封じ込め(containment)』を諦め『緩和(mitigation)』へ移行するというものでした。

(5)自分は英国民に対して正直に言わなければならない,より多くの家族が,彼らの愛する人たちを寿命に先立って失うことになる。しかし,過去数週間にわたって言ってきたように,我々は現在実施している明確な計画がある。そして,我々はその計画の次の段階に移る。
(6)その段階は,この感染症をできるだけ押さえ込もうとするだけでなく,その拡大を送らせ,それによって被害を最小化するものである。

新型コロナウイルスに関するジョンソン英国首相の声明

ところで、日本ではジョンソン首相の声明をきっかけに2つの基本的対策の存在を知った人が多かったと思いますが、これは、日本の対策の基本方針が 『緩和(mitigation)』を行うことを前提に進められていたからでしょう。実際、「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解(2月24日)」でも以下のように説明されています。

 我々は、現在、感染の完全な防御が極めて難しいウイルスと闘っています。このウイルスの特徴上、一人一人の感染を完全に防止することは不可能です。
 ただし、感染の拡大のスピードを抑制することは可能だと考えられます。そのためには、これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります。仮に感染の拡大が急速に進むと、患者数の爆発的な増加、医療従事者への感染リスクの増大、医療提供体制の破綻が起こりかねず、社会・経済活動の混乱なども深刻化する恐れがあります。
 これからとるべき対策の最大の目標は、感染の拡大のスピードを抑制し、可能な限り重症者の発生と死亡数を減らすことです。

新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解

英国のジョンソン首相は、封じ込めのためにできることはすべて実施した上で、それでも駄目だったから、被害を最小化する対策へ移行するのという状況を明確に伝えています。一方、日本では封じ込めという選択肢は最初からなかったかのように基本方針が決められてしまっていたのです。

もし、今回の新型コロナ騒動が「今、政府は『封じ込め』という対策を実行しています。この対策に失敗してしまうと、数十万人規模の死者を発生させてしまう恐れがあります。なので国民の皆さんも協力してください。」という話でスタートしていたら皆さんはどのように行動したでしょうか? たぶん多くの人が全力で協力したと思うのです。愛する家族を失う家庭がたくさん発生するなら、その前に全力を尽くすことを選択したでしょう。

国民の気付かないところで政府が『諦め』てしまい、その結果、 愛する家族を失う家庭がたくさん発生するなんてあんまりです。今回の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」への経緯は、リスクコミュニケーションの観点からも大きな問題があったように思います。

●2つの基本対策はなにが違うのか?

日本が採用している基本対策が『緩和(mitigation)』であり、現時点ですぐに『封じ込め(containment)』へ戻すことは難しいとしても、この2つの基本対策を明確に区別して議論することは未だ重要です。インペリアル・カレッジ・ロンドンのCOVID-19 report 9では、以下のように2つの基本対策を説明しています。

  • (a) 緩和:感染拡大を必ずしも停止させないが、遅らせることに焦点を当て、ピーク時の医療需要を低減すると同時に、重篤な疾患のリスクが最も高い人々を感染から保護する。
  • (b) 抑制:感染拡大を縮小することを目的とし、感染者数を減少させ、その状況を無期限に維持する。

ただ、この定義を見ると、日本が採用している基本対策がCOVID-19 report 9での『(a) 緩和』であることが理解できるものの、『(b) 抑制』との違いがはっきりしないかもしれません。また、3月19日の状況分析でも「日本全国の実効再生産数は、日によって変動はあるものの、1をはさんで変動している」とあったことから、(a) 緩和と(b) 抑制が『連続的な対策』であるかのように見えるという側面もあります。

新型コロナウイルス対策の目的(基本的な考え方)

しかしながら、私のように現象を理解する性質の人間(いわゆる理系)にしてみると、この2つの基本対策は決して混同することがないぐらいに決定的に異なる対策なのです。

●SIRモデル

感染という現象の力学系(ダイナミックス;dynamics)として、SIRモデルというものが知られています。SIRモデルは、感染の力学系モデルとして最も単純なもので、潜伏期間などの因子を考慮しないものですが、新型コロナの感染制御の問題を考える上では十分かつ好適です。 私たちは専門家になる必要はありません。

SIRモデルでは、人口を 感受性保持者(Susceptible)と感染者(Infected)と回復者(Recovered)に分け、これらS(t), I(t), R(t)がどのように変化するかを記述します。基本的プロセスは、(A)感受性保持者Sと感染者Ⅰが作用(接触)することで、感受性保持者Sが感染者Ⅰへ変化すること、(B) 感染者Ⅰが 回復/隔離することで、回復者Rへ変化することです。ここで注意したいのは、●回復者Rは免疫を保持し、回復者Rが感染者Iと接触しても回復者Rが感染者Iへは変化しないことと、●感染者Ⅰを隔離しても回復者Rになるということです。

この過程を微分方程式で記述すると以下のようになります。なお、βは感染率と呼ばれ、γは回復(隔離)率と呼ばれています。

ここで、式(2)に着目し、初期状態(S(0), I(0), R(0))=(N, 0, 0)の近傍における振る舞いを考えると、式(2)は容易に以下のように書き換えることができることから、感染拡大が開始される条件が導かれます。

そして、実は、式(4)の左辺が既にお馴染みとなっている基本再生産数Roです。基本再生産数Roとか実効再生産数Rtとか、細かい違い違いはさておき、新型コロナの感染拡大を防ぐには、〇〇再生産数を1未満にすればよいということは、報道などでもよく伝えられていることでしょう。

・感染制御の因子分解

察しが良い人は既に気付いてしまっているかもしれないですが、式(4)を眺めてみると、基本再生産数Roを下げるには、(A)感染率βを下げてもよいし、(B)回復(隔離)率γを上げてもよいのです。そして、結局のところ、基本対策の『(a)緩和(mitigation)』と『(b)封じ込め(containment)』の違いもそのように整理して理解するのがよいのです。

  • (a) 緩和(mitigation):感染率βを下げることで、感染制御をすること

  • (b) 封じ込め(containment):回復(隔離)率γを上げることで、感染制御をすること

感染制御の基本対策が「(A)感染率βを下げること」と「(B)回復(隔離)率γを上げること」に分解できたところで、次に考えるべきことは、「(a)緩和(mitigation):どうやって感染率βを下げるのか?」と「(b)封じ込め(containment):どうやって回復(隔離)率γを上げるのか?」といういうことです。

(A)感染率βを下げるためには、感受性保持者Sと感染者Ⅰが作用(出会う・接触)する機会を減らせばよいのですから、「外出制限をしましょう」「移動制限をしましょう」「時差通勤やリモートワークを推進しましょう」「学校を休みにしましょう」となるでしょう。これは、まさに現在の日本が実施している対策であり、日本が『(a)緩和(mitigation)』を基本対策としていることの表れです。

一方、(B)回復(隔離)率γを上げるためには、感染者Ⅰを早く回復者Rへ変化させればよいのですから、「感染者を早く見つけて、早く治療・隔離しましょう」となります。これが韓国を代表とする国で実施している対策です。

日本や韓国その他すべての国が『(a)緩和(mitigation)』と『(b)封じ込め(containment)』の両方を行っているし、観測されるのは結果としての感染者であったりするので区別が付きにくい側面もあります。

しかしながら、自分たちの対策・行動を議論・決定するためには、その対策が感染という現象における、どの因子に介入するするものなのかを意識することは重要です。

・検査拡大の是非論

検査拡大の是非論争とも言えるものも巷間を賑わせました。「検査拡大をすると医療崩壊してしまう」とか「検査拡大をすると偽陽性がたくさん発生してしまう」とか、そういう論争です。この論争が不毛であった一番の理由は『検査の目的』に関する議論が欠如していたことだと思います。

検査拡大に関する議論も、感染制御の基本対策が「(A)感染率βを下げること」と「(B)回復(隔離)率γを上げること」に整理できるという視点に立てば、その結論も簡単です。

  • (A) 感染率βを下げるためには、誰が感染者であるかを把握する必要はないのだから、検査は必要ない

  • (B) 回復(隔離)率γを上げるためには、誰が感染者であるかを把握するのが不可欠だから、検査も不可欠

結局のところ、検査拡大の是非の議論も「(a)緩和(mitigation)をするのですか?」と「(b)封じ込め(containment)をするのですか?」という基本対策の部分から議論すべきものだったはずのものです。

・クラスター対策の件

上記議論からすると、日本の基本対策は「(a)緩和(mitigation)」なのですから、検査拡大をする必要がないとの結論に至るように思うかもしれません。しかしながら、日本の対策が「(a)緩和(mitigation)」を基本としているとしも、実際には「(b)封じ込め(containment) = 回復(隔離)率γを上げる対策」も実施してます。

クラスター対策は、基本戦略の3本柱の一つとして「1.クラスター(集団)の早期発見・早期対応」とあるのですから、「感染者を早く見つけて、早く治療・隔離しましょう (感染者Ⅰを早く回復者Rへ変化させる) 」という、「(B)回復(隔離)率γを上げる」対策をしていることになります。

クラスター対策に関しては、これを拡充する意見が多数であると理解しています(例えば日本疫学会提言専門家会議提言)。だとすると、クラスター対策の拡充の一環として、検査拡大もする必要があることになります。ただし、この場合の『検査拡大』とは、PCR装置の問題ではなく、積極的疫学調査のためのマンパワーや仕組みを含めた「感染者を早く沢山見つける」という目的のための全体的な検査の問題であると理解すべきです。

PCR装置に偽陽性や偽陰性の問題があるとしても、そういう問題は、装置設計時にエンジニアが考えるべき問題です。そもそも、どんな測定装置にも偽陽性や偽陰性は発生するのです。そういった不完全な測定装置を使いながらも感染者の早期発見の最大化するという文脈で検査拡大を議論すべきなのです。

集団免疫 vs. 最終規模方程式

日本は『(b)封じ込め(containment)』に失敗したので、その後の感染拡大は『集団免疫』を獲得する水準まで進み、そこで感染拡大も止まるという議論があります。細かいことを指摘してしまって申し訳ないのですが、実はその議論は間違っています。正確には『最終規模方程式の解』に収束するのです。

難しい話をするのは気が咎めるのですが、感染制御方法の選択にも関わるので、簡単なシミュレーションを示しながら説明をしていきたいと思います。これが感染という現象のちょっと不思議な性質なのです。なお、SIRモデルの微分方程式を再掲しておきます。

・ピークを遅らせると患者総数も減る

日本の基本対策は『(a)緩和(mitigation)』であり、感染拡大のピークを遅らせ、かつピークを下げることです。

一方、ピークを遅らせたり、ピークを下げたりしても、最終的な感染者の総数は変わらないのではないかという疑問を持つことはないでしょうか?実は不思議なことに、ピークを遅らせることで、感染者総数も減らせるのです。

以下に示すグラフは、基本再生産数Ro=1.7と2.5の場合におけるSIRモデルの解のシミュレーションです。Excelを使ったシミュレーションなので、必ずしも正確ではないのですが、どちらの場合も最後まで感染せずに終える人がいることが見て取れます。

ここでは詳しい説明はしませんが、このモデルの『最終規模方程式』は、以下のような方程式です。

この方程式の解を求めることは、通常の電卓では難しいですが、R0=1.7の場合では、z=0.69ぐらいであり、R0=2.5の場合では、z=0.89ぐらいです。つまり、R0=2.5の場合、9割ぐらいの人が最終的には感染してしまい、R0=1.7の場合、7割ぐらいの人が最終的には感染することを意味します。

これを『集団免疫』で感染拡大が停止するとして計算すると、R0=2.5の場合では、6割ぐらいの人が最終的に感染し、R0=1.7の場合では、4割ぐらいの人が最終的に感染するとなってしまい過小評価をしてしまうことになってしまいます。

『集団免疫』というのは、初期状態で免疫を持っている人(回復者R(0))がある程度いた場合に、感染拡大がスタートしてしまう条件(式(4)相当)なのです。感染の進行中に集団免疫に相当する程度の回復者が発生したとしても、それは、その時点での実効再生産数が1になるということに過ぎず、感染者数の動態としては減少に転じるものの、感受性保持者が感染者へ変化する過程が突然停止するわけではありません。これが集団免疫を用いた計算が過小評価となってしまう理由です。

実は3月19日の専門家会議の報告でも、基本再生産数R0=2.5の場合の最終的な感染者総数の予測が公表されました。これによると「最終的に人口の79.9%が感染すると考えられます」とされていますので、私の計算とズレてしまっていますが、きっと、SIRモデルのような単純ではない(潜伏期間など諸要素を考慮した)正確なモデルを使って計算したからなのでしょう。いずれにせよ、最終的な感染者数の問題は集団免疫の問題とは異なることが解ると思います。

細かい指摘ですが、現象を見誤ると対策も間違えてしまうことになりかねないので注意を喚起しておきます。簡単にいうと、「止まっているものが動き始める条件」と「動いているものが止まる条件」は違うということです。

終息 vs. 収束

もしかすると、2月24日の専門家会議の見解から、今回の感染は1-2週間で『終息』するのだろうと思っている人がいるかもしれません。しかしながら、専門家会議の見解は「これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります。」と述べているであり、『終息』できるとは言っていないのです。それどころか、実質的には『終息』は不可能ですと宣告しているのです。

 我々は、現在、感染の完全な防御が極めて難しいウイルスと闘っています。このウイルスの特徴上、一人一人の感染を完全に防止することは不可能です。
 ただし、感染の拡大のスピードを抑制することは可能だと考えられます。そのためには、これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります。

新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解

純粋な日本語の問題としての『終息』と『収束』の違いは、「終息:終わること」であり、「収束:収まること」となります。一方、新型コロナ対策の問題としては、以下のように理解するのがよいでしょう。

  • 収束:感染を停止させず、最終規模方程式の解へ収束すること
  • 終息:最終規模方程式の解へ至る前に感染を停止すること

この整理は、『感染という現象』と『感染制御の対策』を整合させることを意図しています。実際、 インペリアル・カレッジ・ロンドンのCOVID-19 report 9における2つの基本対策の整理ともほぼ整合しているはずです。

  • (a) 緩和:感染拡大を必ずしも停止させないが、遅らせることに焦点を当て、ピーク時の医療需要を低減すると同時に、重篤な疾患のリスクが最も高い人々を感染から保護する。
  • (b) 抑制:感染拡大を縮小することを目的とし、感染者数を減少させ、その状況を無期限に維持する。

結局のところ、感染制御の対策の選択は、「最終規模方程式の解へ収束した場合の被害予測が大きければ、それに見合う大きなコストをかけてでも感染を停止させる方がよい」となるでしょう。一方、「最終規模方程式の解へ収束した場合の被害予測が許容範囲内であれば、無理をして感染を停止する必要もない」ということです。

ただし、このように言ってしまうのは簡単ですが、この選択は「言うは易く行うは難し」に属する問題だと思います。

・対策をしない場合

まず、3月19日の専門家会議の報告に準じて、ロックダウンに類する措置などが講じられなかったと仮定した場合の『(最終規模方程式の解への)収束』をしてみたいと思います。これは、基本再生産数R0=2.5の場合なのですが、すでに掲載したシミュレーションを再掲しておきます。

SIRモデルを使った計算だと、最終的には人口の9割ぐらいが感染してしまうので、これに感染者致死率(IFR=0.9%)を乗じると、100万人が死亡してしまうことになります。なお、IFRはインペリアル・カレッジ・ロンドンのCOVID-19 report 9に掲載の値を用いました。

日本の場合、通常の年であっても年間130万人以上が死亡するので、死亡者数が2倍になってしまうほどのインパクトはないかもしれませんが、さすがにこのようなシナリオは受け入れるわけにはいかないでしょう。たとえ、感染率を3月19日の専門家会議に記載の79.8%を用いても死亡者数は90万人ぐらいです。

なお、この計算はピーク時に医療提供体制を超えてしまうか否かの影響を考慮に入れない方法です。ピークというのは時間差で重ね合わせが起こるかもしれないので単純に全国に拡張できないし、そもそも、この計算はグラフから明らかなように、赤線の軌跡ではなく、青線の軌跡を用いた計算です。また、IFRというのも医療提供体制を超えない前提の数値です。逆に言うと、ピーク時に医療提供体制を超えてしまうことを考慮すると、死者の数がもっと増えることになります。

・持続可能な「市民の行動変容」の場合

専門家会議が提唱する基本戦略3本柱の一つに『市民の行動変容』というものがあります。ウイルス自体のポテンシャルとしてはR0>2.5であっても、感染率βが小さくなるように『市民の行動変容』を行えば、基本再生産数R0を下げることが可能です。

ここでは『市民の行動変容』によって、ウイルス自体のポテンシャルとしてのR0>2.5をR0=1.2まで下げられた場合を検討してみたいと思います。

これだと総感染者数も人口の3割ぐらいになるのですが、それでも、35万人ぐらいの死亡者数になってしまいます。ただし、IFRの推定として最も楽観的な数値として0.3%というのもあり、これを使って計算すると死亡者が11万人ぐらいとなります。死亡者が11万人であれば、例年の肺炎の死者数と同程度になりますので、どうにか許容できる水準なのかもしれません。ただし、それでも東日本大震災の死者数の何倍もの死者数ですので、私たちが感じる無力感や喪失感も何倍にもなってしまうのでしょう。

しかも、このシナリオで重要になるのは『持続可能』な行動変容である必要があることです。今現在の実効再生産数が概ね1程度であったとしても、一時的に皆が多くの行動を自粛しているからに過ぎません。ピークを超えるまでは頑張って多くの行動を自粛したとしても、自粛を解除して無制限な行動を復活してしまっては、結局のところ、ウイルス自体のポテンシャルとしてのR0の最終規模方程式の解へ収束してしまうことになるのです。

そのように考えると、ウイルス自体のポテンシャルのR0が2.5を超えているのだろうところを、持続可能な『市民の行動変容』でR0=1.2まで抑え込むこが本当にできるのかというと、正直疑問です。グラフを見ると解るように、感染者(赤線)の数は、長期的に1%程度に抑えられています。しかも、さりげなく横軸(時間ステップ数)も2倍に伸ばしていることに気付いてください。この場合の市民の行動変容は、『本当に持続可能なもの』である必要があるのです。

しかも、持続可能な『市民の行動変容』の中には経済活動も含まれてしまうと、経済的損失も継続的に発生し続けることになる点も忘れてはいけません。

今はピークを乗り越えることで精一杯かもしれないですが、着地点としての『収束』のあり方についても考えておくことは重要になるでしょう。

・再感染の問題

実は、上記損害予測の検証では『再感染しない』という重要な仮定をおいています。これは、SIRモデルのところで説明した「回復者Rは免疫を保持し、回復者Rが感染者Iと接触しても回復者Rが感染者Iへは変化しない」という性質に反映されています。

そして、今回の新型コロナウイルスが再感染しないタイプのウイルスであることなんて証拠はないのです。それどころか、一般的なコロナウイルスは再感染しないタイプのウイルスではないはずです。実際、風邪をひいたからってもう二度と風邪をひかない体になるかというとそうではないです。

このことは、具体的にどのような影響を与えるかというと、例えば、『市民の行動変容』でR0=1.2まで抑え込んだとしても、総感染者数が3割のところでは止まらないことになってしまうのです。

再感染が起こり得る感染の力学系が何らかの形で平衡点をもったとしても、それはあくまでも動態としての平衡でしかなく、個人に着目して推移を観察すると、感受性保持者S → 感染者I → 回復者R→ 感受性保持者Sのループを繰り返してしまうのです。しかも、このループで一周する毎に1%弱の確率で命を落とすことになり、それは未来予測をより厳しいものへとします。

何ができるのか?

  • 最終規模方程式の解へ収束した場合の被害予測が許容範囲内であれば、無理をして感染を停止する必要もない
  • 最終規模方程式の解へ収束した場合の被害予測が大きければ、それに見合う大きなコストをかけてでも感染を停止させる方がよい

今の日本の基本対策は、どうにかしてピークの部分を低く抑えて医療提供体制を維持することに主眼があります。しかしながら、たとえピークの部分をどうにか乗り越えても、最終的に辿り着く『収束』は、十分に大きな犠牲を伴うものです。だとすると、感染を停止させる方策へと考えが向いてしまいます。

とはいうものの、いったい何ができるのでしょうか?それを少し考えてみたいと思います。

・感染の停止を諦めない

専門家会議の見解は「このウイルスの特徴上、一人一人の感染を完全に防止することは不可能です。」となっていますが、少なくとも中国でできているのですから、「ウイルスの特徴上、不可能」という論理は破綻しています。能力が足りないから不可能なのだということを認識した上で、できることを増やしていく方向で考えていくべきです。

感染の停止を諦めないようにするには、「感染者を早く見つけて、早く隔離する(回復(隔離)率γを上げる)」方向の能力を増やしていくことになると思います。感染者の最後の一人を見つけてしまえばその時点で感染が停止する分、感染率βを下げることよりも有利でしょう。この部分の能力を増加させることについては異論はないのではないでしょうか。

 そこで、クラスター対策を徹底し、新型コロナウイルス感染症の爆発的な拡大を阻止するため、日本疫学会は早急に以下の対策を立てることを提案します。
1.保健所が適切に積極的疫学調査を行い、感染制御のための任務に専念できる環境を整えること。
2.オンライン化を進めること等により調査データ収集と分析の効率化を図ること。
3.これらのために、関連学術団体、大学等に自治体・保健所への人的、技術的支援を求めること。

新型コロナウイルス感染症対策における積極的疫学調査にかかる提案

パンデミックになってしまった以上、人類が免疫を獲得しながらウイルスと共存することを考えていかなければならないのですが、だとしても、ウイルスに押し込まれて結果的に集団的な免疫を獲得するのではなく、コントロールされた状態での免疫獲得が好ましいです。一度感染した人の免疫がどうなるか解らない状態で突入するのは避けたいでしょう。例えるなら、ブレーキの制動チェックをしていないのに下り坂に突入してしまうようなものです。それで「理論上は止まる」と言われても「本当ですか?」となってしまいます。

そもそも、回復(隔離)率γを上げる対策をしたとしても、感染率βを下げる対策が不可能になるのではないのですから、回復(隔離)率γを上げる対策も頑張りましょうというだけのことです。

・ブレンドレシピ

感染率βを下げる対策」と「回復(隔離)率γを上げる対策」の両方を実施するのであれば、2つの対策をどのようにブレンドするべきなのかという問題が生じます。これに関しても方向性が見えているように思います。

北海道では特措法改正を待たずに「緊急事態宣言」が行われ、その効果について3月19日の専門家会議の報告がありました。その報告によると、新規感染者や実行再生産数が減ったことも嬉しいことですが、リンクが追えない事例が減ったことの方が嬉しかったのではないでしょうか。

「緊急事態宣言;外出・移動の制限・自粛(感染率βを下げる対策)」 は、リンクが不明な事例を減らすために有効であり、リンクが追える事例は頑張ってリンクを追跡する(回復(隔離)率γを上げる対策)というブレンドになるのでしょう。

・暖かくなればノイズは減る

南半球でも感染が拡大していることを考えると、新型コロナウイルスが温かくなれば自然に消滅することを期待することはできないのでしょう。しかしながら、感染者を見つけるという視点からは有利な状況になるのではないでしょうか。

今の時期では、風邪様症状の人は、普通の風邪であったりインフルエンザであることがほとんどで、そのような中から新型コロナウイルスの感染者を探さなければいけないという困難があるはずです。これが、暖かくなればノイズ側のインフルエンザ等が減るので、新型コロナウイルスの感染者を見つけ出しやすくなるはずです(回復(隔離)率γを上げる対策が有利)。

暖かくなるまでもう少しなので、それまで頑張って感染拡大を防ぐと、感染を押し戻すチャンスが生まれるように思います。

・リスクコミュニケーション

相対的に政府に近い立場の人からも「国民に危機意識が伝わってないのではないか」との声が聞かれます。とはいうものの「伝える努力をしているのですか?」と思わざるを得ない側面もあるでしょう。そもそも、数十万人の死亡者がでる可能性があるプランであることを黙っておき、1-2週間ぐらいで感染も『終息』するかのようなメッセージを伝えていたのですから、危機感が伝わっていないのは当然のことです。

国民の多くは『霞ヶ関文学』と『微分方程式』を読み解くことに精通してはいないのです。

基本戦略3本柱の一つに『市民の行動変容』を掲げておきながら、その行動変容が感染拡大という文脈においてどのような影響を与え、自分たちの未来がどのように変わるのかを伝えなければ、怒られない程度に言われたことを実行する程度になってしまうのは仕方のないことです。この点、イギリスドイツの首相の声明と比較すると大きな違いがあると思います。

とにかく諦めない

正直なところ、私自身は新型コロナ禍に対して直接的に何かをすることはできないので、「諦めない」というより「諦めないでください」というのが正確なところです。せいぜい知識や知恵を少しばかり提供することができるぐらいです。

現在(3月25日)の日本の状況は、欧州や米国に比べると奇跡的と言ってもよい状況です。この奇跡的な猶予期間を有効に活用して難局を乗り切るために使わないといけません。

長々といろいろ書きましたが、ここに書いたことが難局を乗り切るために少しでも役に立つことを願っています。