オプジーボと産学連携の法律問題

ノーベル賞を受賞した本庶先生が、このノーベル賞の対象となった研究から開発されたオプジーボの特許に関する対価に関して不服を持っていることが報道されました。本庶先生のご発言から察するに、自身の研究成果のことだけにとどまらず、産学連携のあるべき仕組みを見据えての行動であるように思われます。この件については、Facebookでも少し述べているのですが、もう少し詳しく書いておこうと思います。

上記Facebookでも指摘したのですが、今回問題となっている特許契約は、通常のライセンス契約ではなく、『不実施補償』といわれる契約です。この不実施補償というのはあまり馴染みのない契約なのでこの契約について簡単に説明します。

不実施補償と共有特許権の実施権

調べた限りでは、オプジーボに関する特許権のほとんどが本庶先生と小野薬品工業で『共有』しているようです。それどころか、持ち分が1対1であるという報道もあります。問題となっている特許権も本庶先生と小野薬品工業が共有していると考えて間違えないでしょう。

そして、この共有に係る特許権について、特許法は以下のように定めています。

特許法73条2項
 特許権が共有に係るときは、各共有者は、契約で別段の定をした場合を除き、他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる。

この条文に従えば、 小野薬品工業は、契約で別段の定をした場合を除き、本庶先生の同意を得ないでオプジーボの特許発明の実施をすることができることになります。

一方、本庶先生も小野薬品工業の同意を得ないでオプジーボの特許発明の実施をすることができるのですが、本庶先生の場合は小野薬品工業とは状況がことなります。本庶先生は、試験管の中などでオプシーボの生成などを行うことができるかもしれませんが、オプシーボを大量に生産して販売することはできないでしょう。つまり、本庶先生は特許発明の実施をすることで金銭を得ることができないのです。

それでは、あまりにも不公平ですので、小野薬品工業は本庶先生に対して金銭的対価を補償する契約を結んでいるのでしょう。特許法73条2項の規定にも「契約で別段の定めをした場合を除き」とありますので、このような契約自体を否定するものではありません。

上記のような実施能力に差異がある場合に、その不実施を補償する契約を一般に『不実施補償』の契約といいます。

産学連携と不実施補償

ところで、産学連携では、特許権の共有が珍しいことではありません。企業と大学が共同研究をした場合、その成果としての発明を共同で出願すれば、特許権の共有が発生することになります。そして、大学は特許発明の実施能力がないことが一般ですので、不実施補償の契約交渉が行われることになります。

しかしながら、『不実施補償』の契約交渉は円滑には進まないのが普通です。なぜならば、特許法73条2項には「契約で別段の定めをした場合を除き」とありますので、あくまでも原則は、各共有者は、他の共有者の同意を得ないで特許発明の実施をすることができるからです。

しかも、契約で別段の定めをする「義務」はないように思えますので、企業側は「不実施補償には法的根拠がない」と主張することになってしまいます。この主張に対し、大学は『慣例』を根拠に応答することが多いのではないでしょうか。「不実施補償には法的根拠がないのか?」については学説も分かれていると理解していますが、少なくとも交渉力といった観点では、企業側に有利であることは間違いないでしょう。

実は、産学連携における特許法73条2項の問題は、今に始まった問題ではなく、以前から多くの問題点が指摘されていたことなのです(例)。

ここで重要なことは、今回の本庶先生の特許契約の不服の問題は、「ノーベル賞級の発明だから」とか「本庶先生自身の主義」とか「小野薬品工業の経営方針」とかにとどまる問題ではなく、もっと大きな問題を含んでいるということです。大学発ベンチャーなどでも特許権の権利帰属や利益配分の問題が発生します。また、産官学連携では、立場の異なる不実施機関が関与することにもなります。

むしろ、日本の産業競争力を高めるためにはどのような(法的)仕組みが必要なのかの問題であるといっても過言ではないのかもしれません。以下のご発言からも、本庶先生にはそのような問題意識があるのだということが窺われます。

産学連携の誠実な対応がないとすると、今後の日本のアカデミアと企業の信頼関係に大きな問題が生じると思う。正当な報酬を得て、次の世代を育てるために使うサイクルが回っていかないと日本の将来は暗い

NHK NEW Web

産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン

実は、政府も産学連携と不実施補償の問題について認識しており、ガイドラインの中に処方箋を記載しています。

産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン概要

産学官のパートナーシップを強化し、共同研究の成果の取扱い(不実施補償等への対応)については、双方の共同研究の目的や状況等を考慮して、総合的な視点で検討すること

産学官連携による共同研究強化のためのガイドライン本文p.23

ただし、上記のように「総合的な視点で検討すること」と述べられても問題解決には不十分な気もします。

本庶先生の行動をきっかけに産学連携の問題が整理され、良い方向に進むことを願うばかりです。